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【制度・制度変化・経済成果】ノーベル経済学賞を受賞した経済学者による新制度派経済学の礎を築いた古典 評価:3点【ダグラス・C・ノース】

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制度・制度変化・経済成果
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人々の行動を変えさせたのは、エコノミックアニマル的な効率性・合理性ではなく「奴隷制は道徳的に悪である」という観念の浸透による人々の「主観的モデル」修正です。

つまり、「競争」は完全ではない、あるいは、「競争」はそれほど強くないというわけです。

競争(あるいは市場)からのフィードバックが意外にも弱く、歴史的に構築されてきた強固な認知や主観、慣習の力が強いために効率的制度の導入が長期間見送られてしまう、と書けばいかにも「失われた30年」の日本的かもしれません。

人々(あるいは政府・企業)はそこまで競争を感じないわけではないが、それほど強く感じるわけでもないのです。

これは私なりのまとめですが、ある制度(A)は既存の制度(B)を効率で上回っていてもなお導入されず、導入コスト(心理コスト含む)を上回ったときに導入される。

つまり、A>B+Cにならないと導入されないということをノースは示唆したいのだと思います。これも現代経済学では当たり前ですが、その当たり前をつくったのがノースだということでしょう。

また、一見良さそうな行動が為されないのは取引費用を考えていないからというアイデアもノースは生み出しています。

取引費用の概念自体が当時の新古典派経済学に存在しなかったとは思いませんが、アメリカ経済における取引費用(銀行・保険・金融・卸売・小売・弁護士・会計士関連費用)は国民所得の45%にのぼるという指摘は非常に強力で、生産費用にこの取引費用を相当程度組み込んで考えないと経済学は現実の経済を上手く説明できないのだとノースは指摘します。

しかも、この割合は時代を経るごとに上昇しているため、総生産費用のうち、取引費用がますます重要になっていく。

それゆえ、取引費用に影響を与える所有権保護・執行機能(=「制度」)が経済全体に与える影響を考慮すべきだとノースは仄めかします。

加えて、そういった制度、特に「インフォーマルな制約」についてノースは深く掘り下げていきます。

「インフォーマルな制約」とは、情報の伝播速度、文化的処理にかかる時間、経路依存的な進行などです。

これらの要素が「完全自由競争」を遅滞させ、そういった要素によって歪められた独特の変化を生み出すというのです。

しかも、インフォーマルな制約はフォーマルな制約と同等の影響を現実世界に与えているとまで述べます。

慣習・伝統から成文憲法までが束ねられた制度の連続的集合体。

フォーマルとインフォーマルはその連続体の両端をそう呼んでいるにすぎず、フォーマルな制度ばかりを実際に機能するものとして扱う傾向にあった当時の新古典派経済学に斬り込みます。

ノースのこうした考え方の中で、他分野にも影響を与えている最も重要な考え方こそが「経路依存性」でしょう。

QWERTYキーボード、狭軌鉄道の存続、(直流ではなく)交流の成功。

あるインフォーマルな制約がいっときでも覇権を取ると、そういった既存制度に合わせて周辺のサブ制度がつくられていき、制度を変更するためのコストが自己増殖する。

最終的に、世の中にとって効率的でなくなっても、それらのインフォーマルな制約が温存されてしまう(例えば、キーボードの耐久性が向上してもQWERTY型の配置がなくならないように)。

過去のある時点(特異点)で起こった出来事が歴史的を経て自己防衛能力を強化したうえで新制度という挑戦者を迎え撃つ構図。

この「経路依存性」という考え方は、効率的な制度の新規導入が妨げられる説明として政治学や社会学の分野でも一般的になりました。

そしてノースは、この「経路依存性」という考え方が国単位の経済体制にも当てはまるというのです。

半ば繰り返しになりますが、 情報コストが劇的に下がり、文明化から1万年のときを経ても各国の経済制度は未だに(「効率的」な制度に)収斂していません。

それは、上に挙げた個別の例と同様、たとえ革命などでフォーマルな制約が変わったとしても、人々のあいだに敷衍しているインフォーマルな制約に押し返されてしまうからです。

インフォーマルな制約もそれ以前のフォーマルな制約から派生したものではありますが、フォーマルな制約が変化しても固着する性質があります。

ノースがこの例として提示するのが、南北アメリカにおける宗主国からの独立です。

アメリカ合衆国憲法は、既に植民地で育っていた「インフォーマルな制約」を礎にして組み上げたので、施行後も現実との齟齬が比較的少なく、人心に浸透していきました。

一方、独立後のラテンアメリカ諸国の憲法はアメリカ合衆国憲法を真似てつくられました。

しかし、アメリカ合衆国憲法が参照していた当時の北アメリカ植民地と、独立時のラテンアメリカ諸国では政治経済体制がかなり異なっており、ラテンアメリカでは集権的な官僚制が実体経済を牛耳っていたのです。

ラテンアメリカの革命はそういった官僚制がスペインやブラジルの皇帝支配から脱却しようして行われたものですが、自由主義的な新憲法の内容と官僚制が牛耳る現実の政治経済体制が合致せずに大混乱を招き、現代でもその痕跡が経済停滞に根を下ろしています。

さらに、慣習的につくり上げられたインフォーマルな制約がフォーマルな制約を打ち破って経済を豊かにしていく例さえノースは持ちだします。

ローマ法やゲルマン法では、善意の購入者でも財が元々盗品ならば持ち主に変換せねばならなかったところ、封建領主や商人の間でつくられていった商慣習法は善意者の保護を認めていき、それによって商取引が活発になっていったというのです。

アイデア・イデオロギー・取引費用。

それらの要素を新古典派のモデルに取り入れる必要を訴え、ノースは本書に幕を引きます。

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結論

堅くて難解ですが、経済学関連の書物で軽く触れられる「制度」や「経路依存性」などの単語をもっと掘り下げたいときに読むべき本だと思いました。

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